しばらく前から右脇腹が痛くなっていたのを我慢していましたが、年末だったので躊躇していました。しかしとうとう我慢ができないほど痛くなり、自分で救急車を呼びました。一人暮らしであったため、と無知なため、何とか歩いて5階からアパート下の駐車場まで降りて救急車を待っていました。救急車が来て救急隊員が「呼んだのは貴方?」と聞かれ、汗を流しながら「はい」と答えたところ「対象が屋外にて待機」と叫ばれ、直ぐに救急車にのせられて、病院へ搬送され、虫垂炎、要は盲腸で、直ぐに入院になりました。

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レントゲンとエコーをとられて直ぐに虫垂炎とわかり、点滴と投薬により、痛みは直ぐに無くなりました。そして医者から手術をして、切除か薬で散らすか、と言われて手術は嫌だったので薬を選択し、1週間ぐらいの入院と安静を言い渡されました。手術して切除でも入院だったので、手術よりは薬を選択しました。また「もっと早くなぜ来ない」と怒られました。

幸いに部屋が空いているから、今なら入院出来ると言われて即日入院です。保険証は救急車を呼んだ際に必要になると思い持って出たので入院手続きはそのまま進みましたが着の身着のままの為何もなく、看護師さんが売店で用意出来るものと病院で貸せる物を教えてくれました。多少大目に現金を持っていたのは幸いでした。

安静にしているように言われましたが投薬で痛みはなく、ベッドの上は退屈で、点滴を片手に歩きまわっていたらベッドの上に「出歩かない」と張り紙をされてしまい、看護師さんからはか「あまり勝手をすると動けない様な処置をする事になるので注意して」と釘を刺されてしまいました。

何かベルトみたいなものを見せられて、「これすることになります」と言われました。また、看護師の学校が併設されている病院だったので、採血とか少し実験台にされており、痛いのなんの、失敗をよくされたことが辛かったです。でも一生懸命に必死な表情で採決している生徒さんの前では「大丈夫です」とか言えず、採血の痕がいくつも腕に残ってしまいました。

少し良かったのは、見習いさんはよくわかっていなかったので、朝体を拭いてくれるのですが、最初の数回は下まで拭いてくれようとしていましたが、流石にお願い出来ず自分で拭いていました。ある時見習いに先輩看護師が付き添ってきた際に、やはり「下を拭きますか?」と聞いてきて「自分で出来ます」と答えると、先輩が「この患者さんは背中とか手が届かない所以外はご自身で出来るって書いてあるでしょう?良く確認する、ただし頼まれたらやって差し上げる」と指導されていました。大変な仕事だと思いました。

怖かったのは、喫煙所近くを歩いていたら看護師さんに「吸ってないでしょうね」と息までチェックされ、またその後ベッドまで来てまた、ベルトを見せられました。私が最初に安静を無視して徘徊していたので目を付けられてしまいました。

最初は食事も無く、それからやっとお粥の食事が出ましたが量は少なくとても満足出来るものではありませんでしたが、食事が出たおかげで点滴が外れ、その時の担当看護師さんが、
「やっと食べられるね、これで点滴の針も抜けるね、今まで痛かったよね」と本当に心配してくれて物凄く嬉しかったです。また、お粥から普通のご飯に切り替わった朝はご飯前から
「今日はなんの日でしょう?待ちに待ったご飯の日です」と私より喜んでくれて本当に嬉しそうに話してくれて感動しました。

冬の病院の風呂は寒い、時間は決まっているし、基本湯船に長くは浸かれず、シャワーが基本、寒さに耐えて体を洗う、あれも恐怖でしたし、朝か昼に風呂の時間で夜に入れることはなくストレスの一つでした。早く退院して自分の部屋のお風呂にゆっくりつかりたいと願ったものです。

ある日の夕方、夕食を食べる前から、お腹の調子が悪いと感じました。痛い、というよりも不快感で、気分が悪いといったところもありました。しばらく様子を見ていたら、吐き気が出て、今度ははっきりとお腹が痛い、と感じました。この段階ですでに夜になっていましたので、病院はすでにしまっており、かかるとしたら救急外来しかありません。お腹が痛い、くらいで救急外来に行くのも、と思ったのですが、お腹が痛い、というのは場合によって命に関わるような事態もありえるということから、家族にお願いして病院の救急外来に行きました。

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病院の救急外来に行き、夜間受付をすませました。緊急性がないと判断されたようで、他にも待っている人がいましたから、その人たちの診察が終わり、私の順番が来るまで待っていました。私の順番が来て、医師は問診をして、その後、腹部の触診をしました。さらに、血液検査をされて、その結果が出るまで待つように、と言われたので、おとなしく待っていました。その間、腹痛は特に増強することはなかったのでじっとしていました。

血液検査の結果、白血球が増えており、また他の症状から、急性虫垂炎の疑い、ということでした。ひとまず入院をして抗生剤の点滴をして、様子をみて明日の朝の状態で手術をするかどうするか決める、と説明を受けました。入院が決まったので、夜間救急病棟に入院することになりました。

夜間救急病棟は、一晩中、バタバタしていることがよくわかりました。私の入院した部屋は4人部屋でしたが、最初は隣に一人入院されているだけでしたが、朝方には満室になっていました。その都度、看護師さんが来られ、いろいろなことをされていきますし、人の話し声もありますので、ほとんど眠ることはできませんでした。夜の病院はもっと静かなつもりだったのですが、全く違った状態であって、少々びっくりしました。もっとも、その病院、入院した病棟の状況によっても異なるのでしょうけど。とにかく朝までちゃんと眠れることができず、ウトウトしただけでどっと疲れてしまいました。
 
結局手術をすることになり、手術後に入院した病棟は一般の外科の病棟でしたので、こちらは全く静かでした。もちろん、いろいろと他の部屋ではあったのかもしれませんけれど、私の入院していた4人部屋は、比較的軽症の方も多かったからかもしれません。夜中に唸り声をあげたり、痛みを頻繁に訴える方がいなかったので、夜は静かで自分もゆっくり眠ることが出来ました。同じ病院でも、病棟によって全く違う、と感じました。看護師さんの対応についても、救急の方はそっけなかったのですが、外科の病棟は親しみやすく、短期間の入院でしたが、安心して過ごすことができました。

入院中、怖かったことは、やはり手術です。手術自体初めての経験でした。全く手術に知識がないわけではないのですが、それでも、自分が手術を受けるとなると、全然違いました。まな板の上のコイ、といいますが、まさにその通りです。手術はきちんと説明を受けて、それに同意して手術を受けることになり、また、その手術自体、あまり大した手術ではないにも関わらず、やはり麻酔をかけられて手術をする、というのは、大変緊張することでした。
 
痛みはきっとないだろうとは思いましたが、一番こわかったのは、麻酔です。麻酔がきくのか、というよりも、麻酔から上手く醒めるのか、ということが心配でした。もちろん、何事もなく手術は終わったのですが。

あとになって感動したことは、手術の跡がほとんどわからない、ということです。きれいに縫合をしてくれており、大変きれいな傷あとになっています。もちろん、しばらくの間は、わかりましたが、それ以降はだんだんとわからなくなり、きっと私以外の人が今見たとしても、まずわからないだろうということです。医師の腕のよさに感動、でした。

数年前の5月頃に、胃腸の不調を感じるようになりました。市販の胃腸薬で対処をしていましたが、ある日大量の下血をしました。大量出血の割に貧血症状はなかったのですが、時間外でしたが病院に電話をして受診すると緊急入院になり、治療とともに検査をした結果クローン病と診断されました。1年くらい前に職場の部署が異動になりかなりのストレスを抱えていると感じていました。暴飲暴食になったことも発病したきっかけになったのかもしれません。

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病院に到着すると患者さんで一杯でしたが、緊急性があったせいかすぐ呼ばれて点滴をされました。そして血液検査などが行われ暫くベッドで休みました。緊急手術なども視野に入れて様子を見ていると、症状が安定したのでこのまま入院して内科的治療を行うことになりました。治療法はまずは禁食です。そして胃カメラと大腸カメラをやって評価してから、具体的な治療方針を決めると言われました。

入院期間は未定と言われましたが、大体の予想を聞くと一ヶ月前後と思ってくれれば言われました。少なくとも1週間は禁食で炎症が落ち着いたら、重湯から少しずつ上げていきます。消化管に炎症がある場合は、消化管を休める意味でも禁食が一番の治療のようで辛いですが我慢することになります。

入院したのは内科病棟でしたが、今考えると当たり前かもしれませんが、若い患者さんはほとんどいませんでした。そして病棟が一日中騒がしいことに驚きました。夜中でも看護師さんの作業している音が聞こえ最初はなかなか眠れませんでした。ナースコールで呼ばれる度にパタパタと早足で駆けつけて、その後ガチャガチャとワゴンを運んでいる音が聞こえてくると何かあったのか、とつい気になってしまいました。

病室には高齢の患者さんも多くて、看護師さんとのやり取りで笑ってしまうこともありました。少し気難しいというか拗ねている患者さんがいて、ある日ベッドから落ちて頭を軽く打ちました。看護師さんが心配して駆けつけて、名前はわかりますか?と言われると、名無しの権兵衛、と答えたので思わず爆笑してしまいました。他にも食事制限があるのに、夜中にカップヌードルを食べて看護師さんに見つかって説教されている患者さんなどもいて面白かったです。

偏見があったのかもしれませんが意外だったのは医師がみんな優しかったことです。高慢なイメージがあったのですが、親身になって対応してくれたことに感謝しています。若い医師は休みなく働いていたことには驚きました。本当に大変な仕事だと改めて感じました。

入院中は9時消灯で6時過ぎに起床という、今までの生活と違うリズムに戸惑いました。採血がある時は4時頃病室に看護師さんが来て行うので大変でした。辛かったのは禁食中の夜中に病室の患者さんが煎餅を食べていたことです。食事中なら我慢できますが全く食べることを禁じられていたので、夜中に音を出されると辛かったです。逆に食事中に気を遣ってくれる患者さんがいて嬉しかったです。君は食べられないのに私だけ食べてゴメンねとか、早く食べられるようになるといいねと言う言葉には元気を貰いました。

また久しぶりに食事を食べられることになった時に、患者さんや看護師さんが自分のことのように喜んでくれたのは嬉しかったです。決して美味しい食事だけありませんが残さずに全部食べました。この経験があったので、今では普通に食べられることに感謝して、体調に問題がある時以外は残さず食べるようになりました。病室の方とはそれぞれ違う病気ですが共感できる部分も多くて親しくなりました。今でも外来でたまに会うことがあり、ちょっとした会話をするのが楽しみになっています。

今からちょうど10年前の夏ごろ、全く食事を食べられなくなり入院しました。病名は急性胃腸炎でした。3週間ほど入院しました。その頃私は仕事がかなり忙しく、早朝から夜12時近くまで仕事をしていました。過労の状態が半年弱も続き、心身が疲弊してしまいました。何を食べても美味しく感じられなくなり、次第に毎日下痢の状態が続くようになりました。水分を取るのもやっとで仕事にも行けなくなり、家族が見かねて救急車を呼び入院する運びとなりました。

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救急車で運ばれた後、脱水症状を起こしていることが判明しすぐに点滴をしてもらいました。救命医の方に全身を見てもらったところ、今すぐ何とかしなければならない重篤な病気はなさそうだとの説明を受けました。「入院して薬を飲みながら様子を見てみましょう」ということになり、その日からそのまま入院となりました。救急車で運ばれたのはすでに夜だったので、入院病棟に入ったのはその日の深夜になります。貴重品の管理の仕方やテレビの使い方、家族に持ってきてもらった方が良いものなどの説明を受け、すぐに横になり休みました。幸い私の場合は、入院して薬を服用しゆっくり休んだところ症状が落ち着きました。そのため胃カメラを飲んだり、お尻からカメラを入れたりということはしていません。

 入院中、点滴を24時間欠かさず打ってもらっていました。トイレに行くときも、病院内を少し移動する時でも点滴を自分で持って移動します。体調が良くないので、その姿が他人からどんなふうに映っているか考える余裕すらありません。ある時1階の売店に行こうと思い、点滴を持ってエレベーターに乗ったところ男性と鉢合わせました。その男性は私を見て「点滴イヤだなー」と、本当に嫌そうな顔をしてぼそっと言ったのです。私の顔色がかなり悪く、よたよたと点滴を持って歩いていたからでしょう。その言葉に私は思わずクスッと笑ってしまいました。健康になった今だからこそ分かるのですが、若い女性が衰弱した状態で点滴を持って移動していたらあまりいい気持ちはしません。

驚いたことは、掃除係のおばさんが気を遣ってたくさんの漫画を譲ってくれたことです。入院中は自分自身や周囲の方たちは調子が悪く、悲しい雰囲気が漂っています。しかし、病院で働いている方たちに励まされたり温かい言葉をかけてもらえることが多く、驚いたと同時に優しさに感動しました。

入院していたのは1ヶ月弱と短い期間ではありますが、体が楽になってくるにつれて周囲の入院している人達を観察する余裕も出てきました。入院中に私が毎日恐怖を感じていたことは、明け方に聞こえてくる声です。入院中は昼も夜もベッドに横になりおとなしくしているので、眠りは浅くなり少しの物音でも目が覚めてしまいます。毎日明け方に、隣の部屋からだと思うのですが、高齢の女性の苦しそうなうめき声と何かを吐いているような声が毎日聞こえて来ることに気がつきました。だいたい朝の4時~5時の間です。抗がん剤の治療をしている方でその副作用か何かなのかな、とぼんやりと思ういながらまた眠りについていました。

また、4人の相部屋で入院していましたが、慣れてくると徐々に話す機会も増えて、どんな方がどのような病気で入院しているのかがわかってきました。私の隣にいた人は寝たきりの女性でしたのであまり話はしていませんが、毎日娘さんがお見舞いに来て、静かにベッドの横に座っていらっしゃいました。

他には不整脈でカテーテル治療をしている方がいらっしゃいました。手術ではなくカテーテル治療は入院期間が短くて済み、家族や周囲への負担、金銭的な負担も少なく済むのだそうです。カテーテル治療で調べると、フェイスメディカルや欧米メーカーなどがありますが、月に1~2回程度の間隔で通院をして再発や後遺症などの確認を行い、半年くらいで治療が終わる予定だそうです。年齢も若い方だったので、傷口が目立たないのも良かったね、と他の患者さんとも話していました。

腹痛には自然に痛みが治まる時と痛みが強くなる時とあります。放っておくと怖い痛みや隠れている病気など、経験者に教えていただきました。どんな病気が見つかったのか、病院に行ってどのような治療をしたのか、についてまとめました。治療の参考にしてください。

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昼頃突然、腹部に激痛が走り、最初は腸炎かと思いましたが、胃腸薬を飲んでも全く痛みは軽減されなくて、これは病院に行かないと大変なことになると感じました。しかし、病院に行きたくても激痛で動くことも立つことさえもできません。仕方がないので旦那の帰りを待つことにして、夕方まで腹痛を我慢しました。

そして、旦那が帰宅するとすぐに近くの病院に連れていってもらったのですが、医師の診断により、大きな総合病院を受診した方がよいとの見立てで、その場で救急車を呼ばれて、大きな総合病院に搬送されました。総合病院の救急室で沢山の検査をした結果、腹痛の原因は、大きくなり過ぎた子宮筋腫にあるという診断が出ました。

その日は点滴と痛み止めの処置だけで痛みは軽減されましたが、私はそのまま入院して、翌日内視鏡検査やエコー検査などを受けました。するとなんと子宮筋腫が22センチにも巨大化していて、その影響で卵巣は腫れ上がり、すぐに手術が必要と言われました。本来、子宮筋腫は良性のため特に処置しなくても命にかかわる病気ではないのですが、私のように巨大化してしまうと、かなりお腹を切る大手術になってしまい、開腹手術以外に治療方法はないと言われたため、私は即、手術してほしいと先生に頼みました。それから、手術に向けて、CT検査やレントゲン、血液検査など、色々な検査が始まりました。

幸運にも、手術に関するリスクはないとの検査結果が出て、入院してから5日後に、手術を受けることができました。手術当日は母と親戚が付き添いに来てくれましたが、いざ、手術室に運ばれようとした時、担当の看護師が担架に運ぼうとしたのは、なんと私ではなく、母の方だったのです。確かに、私は太っていて、病人には見えません。病院食も美味しかったので、きっと顔色も良かったでしょう。反対に私を心配してくれた母は、食欲もなかったようで、もともと痩せています。私ではなく、母を病人と間違った看護師さんに、一瞬周りの空気が凍り付きましたが、やがてみんなで大爆笑、緊張していた初めての手術でしたが、少し心に余裕が出てきた感じでした。

後から聞いた話ですが、親戚の一人が私の姿を見て、あんなに浮腫んでかわいそうと言っていたのに対して、母が言った言葉が、あれは浮腫んでいるんじゃなくて太っているだけ、あの太さは前から変わっていないよ、と言ったそうです。そんな手術前の会話が、今でも私達家族の笑い話になっています。

手術は無事に終わりましたが、一番驚いたのが、手術は全く痛みがないということ、想像以上に怖くないということです。術後の回復は順調で、手術してから5日後には退院することができましたが、特に困ったことや、怖かったことはありませんでした。ただ、退院があまりにも早いと感じ、家に帰ってから大丈夫かな、と思ったくらいです。

入院中に感動したことは、同じ部屋に入院していた患者さんの家族愛の大きさでした。入院していたのは、子宮癌と闘うおばあちゃんだったのですが、旦那と孫、娘と家族全員が毎日お見舞いに来ていました。しかも、みんなで心底おばあちゃんの体を心配していて、なんとか治してあげようと必死でした。不安がるおばあちゃんを優しく励まし、積極的に医師と話をしています。家族が団結して、病気と闘う姿は素晴らしいと、ついつい毎日こんな家族の話に耳を傾けては、泣いた日もありました。まるで私もおばあちゃんの家族になった気持ちで、病気が治ると良いなと思いました。

入院していると、本当に色々な家族に遭遇します。お見舞いに一度も来ない家族や、あまり会話がない家族、自分の病気をきっかけに、本当に沢山の事を勉強させていただきました。
そして家族の温かさもしみじみ実感しました。勿論、定期健診の大切さもです。